異文化理解

出版時(shí)間:2001/07  出版社:巖波書店  作者:青木保  
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內(nèi)容概要

グローバル化、民族紛爭(zhēng)、文化の越境など、文化についての見方や認(rèn)識(shí)が複雑に入り
組んだ狀況の中で、あらためて「異文化理解」について考え、その理解の有用性を論
じる。
【I 異文化へ向かう】
イデオロギーではなく文化という切り口で世界を理解することが20世紀(jì)最後の10年
で大きな主題になってきた。価値を形成し、人間の生き方を深く規(guī)定する文化を重く
捉え、その姿をきちんと見據(jù)えていかなければならない時(shí)代になった。
異文化に対しては憧れと軽蔑という二種類の接し方がある。「さまざまな異文化に
ついての憧れを何によるのか冷靜に判斷するとともに、大したことはないと片づけて
しまった文化についても、不當(dāng)にも貶めて捉えてしまっているところがないかどう
か、改めて検討しなければならない」(40頁)。
【II 異文化を體験する】
自らのバンコクの僧修行體験をもとに、以下のようなことを説明する?!府愇幕?br />理解する急所は境界の時(shí)間と空間である」(65頁)、「異文化自體が境界的である」
(66頁)、異文化を體験するとは異質(zhì)な時(shí)間と空間を體験することである(67頁)、
異文化を理解することのひとつの意義は自文化を見直す機(jī)會(huì)になるということである
(73頁)、異文化理解の手がかりは儀禮である(74頁)。
【III 異文化の警告】
サイードが用いた「オリエンタリズム」という概念は大きな意味で異文化に対する
偏見を示す象徴的な言葉として使われてきた。異文化に対する無知や無知からくる偏
見は大きな困難?摩擦を生む。異文化へのアプローチに対する警告の言葉として「オ
リエンタリズム」は非常に重要である。
同様に、思考経済を助けるステレオタイプも過度の一般化という危険を伴う。
また、最近、グローバリゼーションと同時(shí)に、文明?文化の衝突(ハンチントン)
ということが言われる。しかし、どちらにも與せずに、その間を埋める異文化理解の
考えが必要である。
【IV 異文化との対話】
異文化理解には、自然的、社會(huì)的、象徴という3つのレベルがある。これらには共
通に理解できる部分と、その文化特有のものとして理解しなければならないものとが
あるが、象徴のレベルの理解がもっとも困難である。この象徴レベルこそその文化特
有の現(xiàn)象であり、かつ、文化の翻訳が困難な部分である。また、異文化理解は「遅い
情報(bào)」によって初めて理解できるという面がある(拙速は禁物)。
純粋な文化というものは存在しない。すべて混成文化であり、その混成度の違いに
注目することが異文化理解につながる。
文化を制するものは世界を制する。そして、現(xiàn)代ではさまざまな異質(zhì)な文化をもつ
人々が集まらなければ、良い文化は育たない。
アジアでは伝統(tǒng)文化の破壊と喪失の反動(dòng)として、自文化の発見が大きな課題として
浮上してきた。しかしここには自文化中心主義に陥る危険がある。大切なのは自文化
を通して異文化理解に到達(dá)することである。

作者簡(jiǎn)介

青木保(1938年生まれ)は、文化人類學(xué)者。東京生まれ。東京大學(xué)大學(xué)院(文化人類學(xué)専攻)修了。大阪大學(xué)で博士號(hào)(人間科學(xué))取得。大阪大學(xué)教授、東京大學(xué)教授を経て、政策研究大學(xué)大學(xué)院教授。著書に、『儀禮の象徴性』『境界の時(shí)間』『逆行のオリエンタリズム』『「日本文化論」の変容』『カルチャー?マス?カルチャー』『アジア?ジレンマ』『文化の翻訳』『憩いのロビーで』など。

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用戶評(píng)論 (總計(jì)1條)

 
 

  •     所謂『異文化』,顧名思義,就是他者的文化、別人的文化。在全球化的今天,很有必要以國(guó)家為單位,進(jìn)行多元文化的比較研究。
      
      作者是日本文化廳的廳長(zhǎng),對(duì)各國(guó)的文化都有很深的研究。在『文明的沖突』面前,他試圖用親身的經(jīng)歷和理論分析證明,各種文化的沖突其實(shí)可以避免,并達(dá)到相互理解、相互滲透的混合狀態(tài)。基本上,作者對(duì)全球文化交流與沖突的未來,還是比較樂觀的。
      
      我的看法正好相反。我以為,所謂『文明的沖突』其實(shí)終究不能避免。我持悲觀的態(tài)度。
      
      我以為,人類最大的悲哀就是記憶既無法遺傳,也無法移植,還會(huì)在產(chǎn)生的過程中出現(xiàn)各種累積性的誤差?!何幕贿@個(gè)概念,盡管至今沒有唯一的清晰定義,但不論何種『文化』均是根植在人類的記憶中。每個(gè)人都帶著空白的腦袋和有限的記憶力來到世上,在生老病死的短暫過程中不斷記憶與遺忘——『理解』須以『知曉』為前提,而『知曉』卻受到有限的記憶力和記憶容量的制約——在這種前提下,要實(shí)現(xiàn)『異文化』之間的完全理解和包容根本就是天方夜譚——那幾乎是比所謂共產(chǎn)主義更加有難度的事情。我只能說,所謂『異文化理解』只能是一種美好的設(shè)想,但不可能實(shí)現(xiàn)——理解萬歲,但人類只能活到百歲。
      
      當(dāng)然,作者的出發(fā)點(diǎn)是好的。畢竟在這個(gè)全球化的時(shí)代,我們需要多文化的交流,也就勢(shì)必需要對(duì)各種『異文化』的理解——但,我們不能僅僅去理解,而是一定要以『競(jìng)爭(zhēng)』的態(tài)度去面對(duì),不僅要理解文化之間的差異,也要理解所謂『文化沖突』的本質(zhì)——我這個(gè)說法,可能略帶點(diǎn)文化保護(hù)主義的色彩,但在復(fù)雜多變的世界中,你如果不能保護(hù)自己,又何談對(duì)他者施加影響。至少,我對(duì)『文明的沖突』是肯定的,并且堅(jiān)信不疑。
      
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