出版時(shí)間:2011-9-26 出版社:講談社 作者:小倉慈司,山口輝臣
內(nèi)容概要
■千數(shù)百年に亙って続く神事優(yōu)先の伝統(tǒng)
蘇我入鹿が殺害され、孝徳天皇が即位した645年の乙巳の変でも「まず神祇を鎮(zhèn)めて、後に政事をはかるべし」との奏上があり、神に幣帛を奉るため使いが派遣された。また885年、太政大臣藤原基経が光孝天皇に獻(xiàn)上した衝立障子には、200項(xiàng)目の年中行事が挙げられ、半分以上が宗教関連だった。鎌倉時(shí)代の順徳天皇が著した『禁秘抄』には「禁中の作法は神事を先とし、他事を後とす」とあり、江戸時(shí)代の後水尾天皇の御教訓(xùn)書にも「敬神は第一にあそばし候こと」と記されていた。神事優(yōu)先の伝統(tǒng)がどのように築かれたか、大和王権の祭祀から律令制の神祇制度、今も続く宮中祭祀の変遷から探る。
■天皇と仏教との深い関わり
6世紀(jì)に受容され、國家護(hù)持の役割を果たした仏教は、やがて平安時(shí)代になると個(gè)人としての天皇や皇后を守る役割をもつようになり、そのための御願(yuàn)寺が建立され、宮中での法會(huì)も盛行した。なかでも即位時(shí)に大日如來と一體化する即位灌頂という密教儀禮は、鎌倉時(shí)代(1288年)の伏見天皇に始まり、幕末の孝明天皇まで続く。また南北朝期の後光厳天皇から孝明天皇まで歴代天皇の葬儀を行い、江戸時(shí)代の天皇14人全員が埋葬されたのが京都の泉涌寺であったことほど、天皇家と仏教の密接な関係を物語るものはない。
■激変した近代以降の天皇と宗教
王政復(fù)古、神武創(chuàng)業(yè)を謳う明治維新を迎えると、神仏分離の嵐が吹き荒れ、皇族から僧侶を追放、宮門跡は還俗、御所內(nèi)の仏間であった御黒戸も結(jié)局、泉涌寺に移された。明治天皇の即位式ではもはや即位灌頂はなくなり、仏教色は一掃される。やがて行き過ぎが軌道修正され、師號(hào)宣下や門跡號(hào)も復(fù)活したが、こうした大変動(dòng)のなかでも1922年創(chuàng)立の日本共産黨による「天皇制」廃止スローガンは大きなインパクトを與えた。これに対抗して成立した治安維持法で、はじめて「國體」という用語が法文上に登場。それは、憲法第一條の「萬世一系の天皇之を統(tǒng)治す」のこととされる。戦前?戦中の現(xiàn)人神としての天皇から敗戦で象徴とされるまで、激変した天皇と宗教の関係を追究する。
書籍目錄
第一部 「敬神」と「信心」と――古代~近世 小倉慈司
序
第一章 國家裝置としての祭祀
1.大嘗祭の成立
2.令制前の大王の祭り
3.律令制と地方神祇制度の整備
4.伊勢神宮と斎宮
5.神社制度の変化
6.宮中祭祀の諸相
第二章 鎮(zhèn)護(hù)國家と玉體安穏
1.新たなイデオロギーの導(dǎo)入
2.王法と仏法
3.天皇と出家
第三章 「神事優(yōu)先」と「神仏隔離」の論理
1.「神事優(yōu)先」の伝統(tǒng)
2.「神仏隔離」の成立
3.神祇から仏教へ
第四章 天皇の倫理――象徴天皇制の原像
1.內(nèi)省する天皇
2.皇室宗教行事の変容
第五章 神武天皇の末孫として
1.宮中祭祀と京の神社
2.皇室の葬禮と寺院
第二部 宗教と向き合って――十九?二十世紀(jì) 山口輝臣
第一章 祭政一致の名のもとに――十九世紀(jì)
1.天皇とサポーター
2.祈りの力
3.學(xué)者の統(tǒng)治
4.維新と、その後
第二章 宗教のめぐみ――十九世紀(jì)から二十世紀(jì)へ
1.キリスト教との和解
2.第三の道
3.明治天皇の「御敬神」
4.天皇のいる國家儀禮
第三章 天皇家の宗教
1.皇族に信教の自由はあるのか?
2.宮中に息づく仏教
3.天皇に宗教なし?
第四章 國體の時(shí)代――二十世紀(jì)前半
1.天皇に絡(luò)みつく神社
2.天皇制VS.國體
3.兄の格律、弟たちの反抗
4.國體を護(hù)持し得て
第五章 天皇制の果実――二十世紀(jì)後半
1.國體の行方
2.象徴を探して
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