続日本紀(jì)

出版時(shí)間:1999/7  出版社:臨川書(shū)店  作者:藤原継縄?菅野真道?淡海三船  譯者:國(guó)立歴史民俗博物館館蔵史料編集會(huì)  
Tag標(biāo)簽:無(wú)  

內(nèi)容概要

全般に記述が簡(jiǎn)潔で、事件の要點(diǎn)のみを記して詳細(xì)に及ばない。簡(jiǎn)潔が過(guò)ぎて養(yǎng)老律令のような重要事件が脫落した例が見(jiàn)られる。一部の人物の死亡記事に簡(jiǎn)単な略伝を付し、これは後続の史書(shū)に踏襲された。このような略伝を特に薨伝(こうでん)という。
政治的配慮は、桓武天皇の治世の記述において顕著である。天皇の心痛となった早良親王廃太子の記事は、事件の発端となった藤原種継暗殺事件とともに、いったん記載されたものが後に削除された。削除部は平城天皇の代に復(fù)活したが、嵯峨天皇によって再び消されて今に至る。消された部分は『日本紀(jì)略』に採(cǎi)録されている。また、藤原広嗣の亂における謀反人?藤原広嗣に対する好意的な記事や宇佐八幡宮神託事件及び道鏡に関する記述に政治的意図が含まれているという説もある。ただし、『日本書(shū)紀(jì)』と比べれば、続紀(jì)の信頼性はずっと高いと考えられている?!柑炱轿幕工颏趣辘蓼T側(cè)面を解明し、本格的な実録として最初に整備された史書(shū)である。
続日本紀(jì)には、『官曹事類』と『外官事類』が付屬した。前者は本文に掲載しなかった文書(shū)類を原文そのままに項(xiàng)目別に配列したもの、後者は內(nèi)容不明でおそらく前者に似たものであろう。どちらも失われた。

作者簡(jiǎn)介

編纂は、前半部と後半部で異なる事情を持つ。
前半ははじめ、文武天皇元年(697年)から天平寶字元年(757年)、孝謙天皇の治世までを扱う30巻の曹案として作られた。光仁天皇が、修正を石川名足、淡海三船、當(dāng)麻永嗣に命じたが、彼らは天平寶字元年紀(jì)を紛失した上、未遂に終わった(この年の前後には政爭(zhēng)絡(luò)みの事件も多かったため、執(zhí)筆者間で意見(jiàn)が纏めることが出來(lái)ずに紛失という事にしたとする説もある)?;肝涮旎胜蚊摔瑜昃幾毪蜉岩罢娴?、秋篠安人、中科巨都雄が引継ぎ、全20巻とした。
後半は當(dāng)初、天平寶字2年(758年)からおそらく寶亀8年(777年)、淳仁天皇から光仁天皇までを扱うものとして、桓武天皇の命で編纂された。石川名足、上毛野大川が詔によって編集した20巻を、藤原継縄、菅野真道、秋篠安人が14巻に縮め、延暦13年(794年)にいったん完成した。菅野真道、秋篠安人、中科巨都雄は、さらに6巻、すなわち桓武天皇の治世のうち延暦10年(791年)までを加え、全20巻とした。
以上あわせて40巻の編纂が成ったのは、延暦16年(797年)であった。

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