本朝世紀(jì)

出版時間:1999/2  出版社:吉川弘文館  作者:藤原信西  譯者:黒板 勝美  
Tag標(biāo)簽:無  

內(nèi)容概要

六國史後を継ぐ史書として、鳥羽上皇(1103年-1156年、天皇在位1107年-1123年)の命により、藤原信西が編纂。成立は1150年-1159年。『史官記』『外記日記』ともいわれる。全20巻。
『日本三代実録』に続くもので、宇多天皇の877年以降、近衛(wèi)天皇(在位1141年-1155年)までを扱う。諸家の日記?系図を原文のまま時代順に整頓したものであった。信西が平治の亂(1159年)で死んだため、未定稿に終わったうえ、多くが散逸している?,F(xiàn)存しているのは935年~1153年のうち一部であるが、同時代の重要な史料である。

作者簡介

藤原 通憲(ふじわら の みちのり、嘉祥元年(1106年)? - 平治元年12月13日(1160年1月23日))は、平安時代末期の貴族?學(xué)者。藤原南家の末裔、蔵人藤原実兼の子。祖父は大學(xué)頭の藤原季綱。祖父の血を引いた通憲も學(xué)問に勵み、當(dāng)世無雙の宏才博覧と稱された。一時高階経敏の養(yǎng)子となったが、鳥羽上皇の院政期に復(fù)姓した。妻は高階重仲の息女で、間にできた子息は、藤原俊憲、藤原貞憲、藤原是憲の三人。その後、後白河天皇(雅仁親王)の乳母の紀(jì)伊局と結(jié)婚。天養(yǎng)元年(1144年)、7月22日少納言の時に出家しており、以後に名乗った法名の信西(しんぜい)の方が有名。
鳥羽上皇に仕えた信西は、學(xué)問で名を挙げ、「本朝世紀(jì)」、「法曹類林」の編纂も行っている。後白河天皇の乳母(紀(jì)伊の局)の夫であることから、後白河の即位を?qū)g現(xiàn)させた。平清盛ら武士の起用も進(jìn)め、1156年7月鳥羽上皇が亡くなると、保元の亂が起こると、源義朝の獻(xiàn)策を積極採用して、夜襲作戦を採用した。結(jié)果、後白河天皇?信西?清盛側(cè)が勝利を収める。死刑制度を復(fù)活させて、源為義らを処斷した。また、摂関家の弱體化と天皇親政を進(jìn)め、新制七カ條を定め、記録荘園券契所を設(shè)置し、荘園の整理を行うなど、絶大な権力を振るう。その後、二條天皇が即位し、後白河院政が始まると、藤原信頼や源義朝らの反対勢力が結(jié)集し、1159年平清盛が熊野詣に出かけた留守にクーデター(平治の亂)が起こる。信西は義朝?信頼の軍勢に追われ、伊賀の山中で観念し、入定したところを源光保に発見され、掘り出され首をはねられた。(クーデターは清盛によって鎮(zhèn)圧され、後の平氏政権の基礎(chǔ)が固まった)
學(xué)問に優(yōu)れ、藤原頼長と並ぶ當(dāng)代屈指の碩學(xué)として知られた?!航耒R』でもその才能を絶賛する一方で、陰陽道の家の出でもないのに天文に通じたがために災(zāi)いを受けたのだと評されている。

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