出版時(shí)間:2004/01 出版社:NPO法人 近代印刷活字文化保存會(huì) 作者:『日本の近代活字本木昌造とその周辺』編纂委員會(huì)
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內(nèi)容概要
內(nèi)容(「BOOK」データベースより)
鋳造活字を用いた活版印刷術(shù)の発明はヨーロッパ近代の成立を促したが、日本においてもその導(dǎo)入と普及は近代化の推進(jìn)に欠かすことのできない原動(dòng)力であった。そこにきわめて大きな役割を果たしたのが、長(zhǎng)崎に生まれ長(zhǎng)崎に沒(méi)した本木昌造である。自ら活字の鋳造を試み、対訳本を印刷出版するなど早くから活字の重要性に著目した本木昌造は、明治二年に上海?美華書館のウィリアム?ガンブルを招聘し、率先して活字の製造技術(shù)を習(xí)得した。その技術(shù)のうち最も重要なものが、字形の複雑な漢字活字の製造に適した「蝋型電胎法」という母型製作法である。金屬鋳造活字による印刷というアイデアをそれ以前の日本人が知らなかったわけではなかったが、一五世紀(jì)のグーテンベルク以來(lái)、途絶えることなく活版印刷の歴史を刻んできたヨーロッパと違い、日本におけるその系譜は近世初頭で斷絶している。さらに幕末に至り、本木以外にも多くの人が和文鋳造活字の製造を試みているが、これらも明治近代へと引き継がれることがなかった。技術(shù)を習(xí)得した本木昌造は、ほどなく長(zhǎng)崎に新町活版所を設(shè)立し、矢継ぎ早に大阪、京都、橫浜、そして東京へと進(jìn)出していった。本木の近代活字は長(zhǎng)崎から日本各地へともたらされた。本木昌造による鉛鋳造活字の製造と実用化、事業(yè)化によって、近代活版術(shù)ははじめて日本に定著していくのである。
おもな內(nèi)容 目次より
日本の文字を活版印刷に定著すること 本木昌造の意味
和文活字による近代印刷術(shù)導(dǎo)入の前夜
幕末の洋學(xué)事情と蘭書復(fù)刻
漢字鋳造活字の開(kāi)発と日本への伝幡
諏訪神社収蔵「木彫種字」と初期本木系印刷物
「初期本木活字」を用いた印刷史料
本木?平野系初期活字見(jiàn)本帳
書と活字のはざまにいた池原香穉
蝋型電胎法と本木昌造の活字づくり
蝋型電胎法による母型製作本木昌造の復(fù)元へ向けて
諏訪神社収蔵の鋳型と付屬部品
活字の鋳型、その歴史をたどる
木村嘉平と川本幸民電胎活字事始め
創(chuàng)始者とその世界本木昌造の意味
長(zhǎng)崎と阿蘭陀通詞本木家本木昌造のルーツ
本木昌造の活版事業(yè) その展開(kāi)と行方
文明開(kāi)化とタイポグラフィ勃興の記録
活字と印刷、その世界化と日本化
活字書體 中國(guó)からの導(dǎo)入と改刻
日本の活字版印刷を支えたアメリカの活字版印刷
日本の見(jiàn)字は近代活字とどう出會(huì)ったのか
日本人の文字意識(shí)と近代活字
日本語(yǔ)と文字表記 活字化と仮名文字の近代
書物の様式とメディア性 活版印刷によるその変容
作者簡(jiǎn)介
『日本の近代活字本木昌造とその周辺』編纂委員會(huì) (編集)
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