広西移民社會と太平天國(本文編)

出版時(shí)間:2001-2  出版社:風(fēng)響社  作者:菊池秀明 編  

內(nèi)容概要

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はしがき(本文編) 菊池秀明
名古屋郊外の私立大學(xué)に赴任して5年、著者はいつも學(xué)生に「國際人になるためには、まず地元の歴史に強(qiáng)くなろう」と教えている。異文化を理解するためには、自分達(dá)の足下から見つめて欲しいという願(yuàn)いをこめてそう話しているのだが、実際のところ我々日本人の生活は相當(dāng)に無機(jī)質(zhì)なものになっており、「生きること」の意味を問い直す手がかりを捜し出すのは決して容易ではない。
中國は長い間「近くて遠(yuǎn)い隣人」であった。古くから日本は中國を師と仰ぐことで自らの文化を形成してきたが、わずかなケースを除いて中國社會に直に觸れるチャンスは存在しなかった。こうした傾向は日本の中國史研究においても例外ではない。中華人民共和國の成立に軍國主義の道を歩んだ日本と異なる「近代」の可能性を見た時(shí)代、文化大革命の主張に少なからず影響を受けた時(shí)代は無論のこと、華僑に代表される移民のバイタリティーに関心が集まる現(xiàn)在もなお、我々日本の研究者は中國人の「素顔」を明らかにし得たとは言いがたい。
本書は中國近代史上の重要事件であった太平天國運(yùn)動(dòng)(1850年~1864年)の社會的背景を、実地調(diào)査の成果に基づいて解明しようとする試みである。特に運(yùn)動(dòng)の発祥地となった広西移民社會の形成とその特質(zhì)について、著者が現(xiàn)地で発見、収集した第1次史料を中心に分析を進(jìn)める。この第一次史料は多くが族譜(日本の家系図に相當(dāng))や碑文であり、野に埋もれていたこれらの史料を系統(tǒng)的に発掘出來たことは太平天國史及び中國社會史研究の進(jìn)展において大きな意義を持つものと考えられる。また歴代祖先の誕生から死までを綴ったこれらの史料は、當(dāng)時(shí)の人々の息づかいや様々な「想い」を鮮明に伝えてくれている。なおそのうち重要な4十3篇の史料については、『広西移民社會と太平天國』【史料編】に収録した。併せて參照して頂ければ幸いである。
本書はこれらの史料と農(nóng)村調(diào)査における知見をもとに、広西移民社會の構(gòu)造と太平天國運(yùn)動(dòng)の発生原因について人口及び社會階層の流動(dòng)性、異民族間の接觸(とくに少數(shù)民族の「漢化」)に注目しながら検討する。本書が繰り返し投げかける問いとは、「太平天國の參加者(または反対者)である彼(彼女)は、いかなる歴史的背景の下に生まれ、育ったのか」「いかなる理由から太平天國に參加(もしくはこれと対立)したのか」という問いである。それは辺境における移民の入植によって今日のスケールまで膨張を遂げた中國社會において、その擔(dān)い手であった民衆(zhòng)が何を求め、どのように生きたかを理解する作業(yè)にほかならない。
本來歴史家の使命とは、文字史料の行間に隠れた人々の「想い」や「痛み」を掘り起こし、これを後世に伝えることにある。また異文化世界の歴史を描くことは日本人である我々を相対化し、見つめ直す上で不可欠の作業(yè)であろう。本書は広西フロンティアを彩った移民達(dá)の行動(dòng)様式と、安定や成功を求める彼らの情熱が生み出した様々な社會現(xiàn)象を取り上げることで、中國民衆(zhòng)の「素顔」に迫ろうとするものである?;烀预蛏瞍幛氍F(xiàn)代日本において、我々が「遅れた社會」という名の下に否定ないし無視してきたアジアの農(nóng)村と、そこに生きた人々の姿に目を向けることは、我々自身のあり方を問い直す上で大きな意味を持っていると思われるのである。
なお本書では、史料用語などの漢字にふったルビは原則的に普通話プートンホワ(北京官語)音を用いるが、いくつかのキーワードについては調(diào)査地の標(biāo)準(zhǔn)語である「白話バッワー(広東語系の土語)」「客家話ハッガーワー(客家語)」音を用いる。煩雑を避けるため、両者の區(qū)別は特に必要がない限り注記しないことにしたい。

作者簡介

著者紹介
菊池秀明(きくち ひであき)
1961年、神奈川県生まれ。
早稲田大學(xué)第一文學(xué)部卒業(yè)。東京大學(xué)大學(xué)院人文社會系研究科博士課程修了、文學(xué)博士。
1987年から1990年まで広西師範(fàn)大學(xué)歴史系、広西社會科學(xué)院歴史研究所に留學(xué)し、農(nóng)村調(diào)査を行なう。
現(xiàn)在、中部大學(xué)國際関係學(xué)部助教授。
〈主要論文〉
「太平天國前夜の広西における移住と『客籍』エリート」
「明清期、広西チワン族土官の『漢化』と科挙」
「明清期の両広南部地區(qū)における客家移民の活動(dòng)と國家」

書籍目錄

はしがき
序 章 太平天國史と中國移民社會史研究をめぐる諸問題
1 中國民衆(zhòng)反亂史研究をめぐる課題──太平天國と義和団、白蓮教
2 中國社會史研究をめぐる新動(dòng)向──移住と宗族、少數(shù)民族
●第1部●「客籍」エリートの成立と土官の「漢化」──広西における「上等の人」の形成と変容
第1章 「客籍」エリート集団の形成と変容──桂平県「安良約」のリーダー達(dá)をめぐって
1 桂平県北部における漢族移民の入植
2 「客籍」エリート集団の形成
3 「客籍」エリート集団の成熟と安良約──古程村黃體正1族を中心に
第2章 チワン族土官の「漢化」と科挙
1 明代広西における新設(shè)土官の活動(dòng)と「漢化」──藤県五屯覃氏と忻城県莫氏
2 清初広西西部の少數(shù)民族政策と土官──泗城府岑氏の改土帰流を中心に
3 広西西部における土官の「漢化」と科挙──西林県岑毓英一族の軌跡
●第2部●移民宗族のリーダーシップと地域社會──「中等の人」の上昇、下降移動(dòng)と「オン食」
第3章 新興宗族と彼らをめぐる社會関係──桂平県江口地區(qū)の族譜分析を中心に
1 非官僚移民の移住原因と成長過程──いわゆる「オン食」の諸相
2 「客籍」エリート集団への參入
3 新興勢力をめぐる社會関係と成功──「結(jié)拝兄弟」と団練結(jié)成
第4章 平南県における中流宗族の動(dòng)向と國家──胡以晄一族の「オン食」と太平天國參加
1 平南県北部における漢族移住
2 清代中期における軍人移民の沒落とその原因
3 太平天國期における中流宗族の「オン食」とその特質(zhì)
4 中流宗族のリーダーシップと「客籍」エリート、國家
●第3部●客家?チワン族の移住と中國専制王朝──「下等の人」をめぐる民族関係と太平天國
第5章 両広南部における客家移民と國家──広東信宜県凌十八蜂起の背景
1 両広南部地區(qū)における客家の入植──「新図」の形成と國家政策
2 定著期の客家に対する國家政策の影響──辺境ゆえの科挙熱と宣講
3 客家の生業(yè)形態(tài)と國家政策──いわゆる「オン食」をめぐる対立
第6章 広西チワン?漢両民族の移住と「漢化」──桂平県「講壯話」韋昌輝の拝上帝會參加
1 明代チワン族の桂東南入植と漢族移民──桂平県武靖土州の事例を中心に
2 清代チワン族の階層分化と「漢化」──桂平県古城村侯氏と容県龍膽村陸氏
3 太平天國前夜におけるチワン族と「客籍」エリート、中國専制王朝
4 チワン族の「漢化」と漢族下層移民──韋昌輝親子の拝上帝會參加
●附編●桂平県?藤県山區(qū)の移住と拝上帝會──紫ケイ山?大黎郷における太平天國調(diào)査報(bào)告
第7章 「金田団営」の前夜──桂平県紫ケイ山區(qū)における移住と拝上帝會
1 紫ケイ山の現(xiàn)在──1989年の調(diào)査から
2 紫ケイ山における移住──大藤峽ヤオ族反亂の弾圧とチワン族佃戸の入植
3 清代中期における客家移民の紫ケイ山入植──石人村王氏と大沖村曾氏
4 紫ケイ山における客家移民と少數(shù)民族──拝上帝會參加者をめぐって
第8章 藤県北部における移住と太平天國──李秀成ら「四王」の族譜分析を中心に
1 大黎の現(xiàn)況と太平天國調(diào)査の報(bào)告
2 明代藤県北部の開拓──五屯千戸所と漢族の移住
3 清代前期の大黎開拓──漢族諸宗族の形成
4 太平天國前夜の大黎──宗族組織の発展と社會矛盾
終 章 広西移民社會と太平天國
あとがき
索引(事項(xiàng)?人名?地名/図表一覧)

圖書封面

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