出版時間:1993-4
內(nèi)容概要
1950年代から80年代にかけての、まさに映畫完熟期の監(jiān)督論集。著者は映畫を立體的で動的な文學としての研究、〈映畫學〉を?qū)W問の一分野にした功績が評価され、第11回川喜多賞を受賞。極上の映畫監(jiān)督の"記念碑"。
作者簡介
飯島 正(いいじま ただし、1902年3月5日 - 1996年1月5日)は、日本の映畫評論家。舊姓、吉田[1]。
東京生まれ。父の吉田平太郎は豊後出身で陸軍中將だったが、退役後に毛皮商として一旗揚げるべくモンゴルに渡り、そこで部下に騙され、尾羽打ち枯らして日本に帰國、持ち家を手放し、都內(nèi)を転々[2]。のち茨城県の愛人のもとに移り、釣りに明け暮れ、肝臓病で亡くなった[2]。母方の祖父の池上正路は銀座の大手広告代理店「正路喜社」(しょうじきしゃ)の創(chuàng)立者[2]。平太郎には離婚した先妻とのあいだに子がいたため、正の実母は先妻の子に気を遣い、正を自分の兄(正の母方の伯父)の養(yǎng)子に入れ、飯島姓とした[3]。
東京帝國大學仏文科卒。1922年『キネマ旬報』同人となる。1928年評論集『シネマのABC』を刊行。以後映畫評論で活躍するほか、翻訳もおこなった。戦後は早稲田大學文學部講師を26年務めた。1971年「前衛(wèi)映畫理論と前衛(wèi)蕓術」で蕓術選奨文部大臣賞を受賞。1993年川喜多賞受賞。1996年に死去した後、毎日映畫コンクール特別賞を贈られた。
妹の吉田隆子は作曲家で、久保栄の內(nèi)妻。
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