出版時(shí)間:2010-2-26 出版社:汲古書(shū)院 作者:中尾 友香梨 著
內(nèi)容概要
【序章】より
長(zhǎng)崎には「明清楽」と稱する異國(guó)風(fēng)の音楽が伝承されている。江戸時(shí)代に海を越えて中國(guó)から伝來(lái)したこの音楽は、日本に地で根を下ろし、花を開(kāi)き、いつしか日本の伝統(tǒng)音楽の一つとして定著した。いわゆる「鎖國(guó)」の外交政策の下、彼の地を踏むこと適わぬ唐土に対して旺盛な好奇心と興味を抱いていた當(dāng)時(shí)の人々に、夢(mèng)とロマンを與えた明清楽は、華音(中國(guó)語(yǔ)の発音)の歌と異國(guó)情緒あふれるメロディーおよびユニークな楽器ゆえに、當(dāng)時(shí)の人々にこよなく愛(ài)された。坂本竜馬の妻お竜が竜馬にせがんで長(zhǎng)崎へ同行し、明清楽の代表的な楽器である月琴の稽古に勵(lì)んだことも、今やすっかり有名な話である。
明清楽はもともと「明楽」と「清楽」の総稱である。文字どおり「明楽」は明の音楽、「清楽」は清の音楽を指す。両者は本來(lái)異なる系統(tǒng)の音楽であるため、厳密には區(qū)別して考えるべきであるが、明治初期の清楽演奏家たちが明楽曲の一部を清楽演奏のレパートリーに取り入れたため、合わせて「明清楽」と稱するようになった。後に明楽は殆ど衰退したが、「明清楽」という呼稱はそのまま定著し、実質(zhì)的に「清楽」を指して言うことが多くなった。
本書(shū)は、明清楽を単に「音楽」という一つの専門(mén)領(lǐng)域の中だけで捉えるのではなく、江戸時(shí)代における外來(lái)文化の受容という大きな枠組みの中でこれを捉え、この外來(lái)文化に対する江戸文人の反応と受容を主軸にすえて、論を展開(kāi)しようとするものである。
第一章では、魏氏由緒書(shū)の寫(xiě)しおよび関連資料を読み解くことにより、江戸中期に明楽を日本に伝えた魏之琰と彼の明楽を世に広めた四代目の魏皓の事跡を整理する。続いて刊本『魏氏楽譜』の序跋を読み解くことにより、魏皓が京都で交わった文人?儒者らと明楽との関わりについて考察する。
第二章では、東京蕓術(shù)大學(xué)附屬図書(shū)館蔵の六巻本『魏氏楽譜』を精査し、その內(nèi)容と構(gòu)成を明らかにする。
第三章では、魏皓の庇護(hù)者であった姫路藩主酒井家と明楽との関係について考察する。姫路藩邸で行われた明楽に関する記録を、江戸後期の文人たちの筆記などから拾い上げ、明楽演奏の実態(tài)に迫る。また、酒井家の明楽譜であったと目される天理大學(xué)附屬天理図書(shū)館蔵『明楽唱號(hào)』と六巻本『魏氏楽譜』を比較することにより、姫路藩主酒井家の明楽と魏氏楽との関係を究明する。
第四章では、清楽を日本に伝えた清客たちについて述べ、彼らが清楽を?qū)?lái)した背景に明清時(shí)代の中國(guó)江南地域における民間俗曲と地方劇の流行があったことを明らかにする。そしてこれらの民間蕓能が日本に伝來(lái)した後、文人騒客をはじめ幅広い階層の人々に嗜まれた理由の一つとして、その「雅俗共賞」の性質(zhì)に迫る。
第五章では、筑前の大儒亀井昭陽(yáng)をとりあげ、彼と清楽との関わりについて論じる。亀井昭陽(yáng)は謹(jǐn)厳実直な儒者として名高いが、遠(yuǎn)山荷塘との出會(huì)いにより、清楽に多大な関心を寄せるようになる。そして詩(shī)文や書(shū)簡(jiǎn)にも清楽に関する記録を多く殘したが、これらの資料を読み解くことにより、亀井昭陽(yáng)とその周?chē)欷稳恕─绾韦饲鍢Sに親しんだか、またなぜ彼らはここまで清楽に魅了されたのか、その理由に迫る。
第六章では、長(zhǎng)崎の清楽を三都およびその他の地域に伝えた長(zhǎng)崎帰りの文人騒客たちについて述べる。彼らは長(zhǎng)崎で清客や唐通事について中國(guó)の詩(shī)書(shū)畫(huà)を?qū)Wぶと同時(shí)に、余技として清楽を身につけ、これをモダンな中國(guó)文化の一つとして江戸?京坂をはじめその他の地域に広めた。本書(shū)では従來(lái)よりその名が知られている遠(yuǎn)山荷塘?亀齢軒斗遠(yuǎn)のほかに、殆ど事跡が明らかになっていなかった大島松洲と大島秋琴についても紹介する。
第七章では、江戸文人と清楽の関わりについて述べる。????清楽が流行を見(jiàn)せ始めた化政期頃から天保年間にかけて、文人たちの詩(shī)文にはしばしば清楽が登場(chǎng)するが、中國(guó)よりもたらされたこの俗楽を當(dāng)時(shí)の文人たちが如何に受け止めたかは極めて興味深いことである。なぜならそれは、中國(guó)の俗文化に対する江戸文人の受容のあり方を反映するものでもあるからである。
終章では、明清楽の流行が決して単に江戸文人の中華趣味に止まるものではなく、彼らの思想背景およびそれによって左右される當(dāng)時(shí)の社會(huì)動(dòng)向とも密接に連動(dòng)していたことを指摘する。またそれは、日本の知識(shí)階級(jí)の中國(guó)に対する認(rèn)識(shí)がそれまでよりも格段に深まり、もはや中國(guó)の上層階級(jí)による文字化された雅文化だけでなく、庶民階層の俗文化をも含む中國(guó)文化全體を、トータルで理解しようとした態(tài)度の現(xiàn)れでもあったことについて論ずる。
書(shū)籍目錄
序 章
第一節(jié) 明楽と清楽
第二節(jié) 先行研究の整理
第三節(jié) 本研究の意図
第一章 江戸時(shí)代の明楽と『魏氏楽譜』
第一節(jié) 明楽を伝えた魏之琰 (一)二つの「由緒書(shū)」/
(二)魏之琰と朱舜水
第二節(jié) 明楽を広めた魏皓
第三節(jié) 刊本『魏氏楽譜』の序跋
(一)竜草廬の「魏氏楽譜敘」/(二)関世美の「魏氏楽譜序」/(三)宮崎筠圃の「書(shū)魏氏楽譜後」/(四)岡崎廬門(mén)の跋
第二章 東京蕓術(shù)大學(xué)附屬図書(shū)館蔵六巻本『魏氏楽譜』
第一節(jié) 六巻本『魏氏楽譜』
第二節(jié) 六巻本『魏氏楽譜』と『楽府渾成』
第三節(jié) 六巻本『魏氏楽譜』と『草堂詩(shī)余』
第三章 姫路藩主酒井家の明楽と『明楽唱號(hào)』
第一節(jié) 姫路藩主酒井家の明楽
第二節(jié) 『明楽唱號(hào)』と『魏氏楽譜』
第三節(jié) 『明楽唱號(hào)』と投壺
第四節(jié) 『明楽唱號(hào)』と琴楽
第五節(jié) 『明楽唱號(hào)』と明代小曲
第四章 清楽と時(shí)調(diào)小曲
第一節(jié) 清楽を伝えた清客たち
第二節(jié) 明清の江南地域における時(shí)調(diào)小曲の流行
(一)明代中期に始まった時(shí)調(diào)小曲の流行/
(二)清代の江南地域における時(shí)調(diào)小曲の盛行
第三節(jié) 雅俗共賞の時(shí)調(diào)小曲と清楽
第五章 亀井昭陽(yáng)を魅了した清楽
第一節(jié) 清楽との出會(huì)い
第二節(jié) 亀井家の人々と清楽
第三節(jié) 亀井昭陽(yáng)が清楽を好んだ理由
第六章 清楽を広めた文人騒客
第一節(jié) 遠(yuǎn)山荷塘
第二節(jié) 大島松洲
第三節(jié) 亀齢軒斗遠(yuǎn) 第四節(jié) 大島秋琴
第七章 江戸文人と清楽
第一節(jié) 漢詩(shī)に詠まれた清楽
(一)武元登々庵/(二)頼 山 陽(yáng)/(三)田能村竹田/
(四)中島棕隠/(五)広瀬旭荘
第二節(jié) 梁川星巖の清楽批判
第三節(jié) 武富圯南と清楽
終 章
附録一 江戸時(shí)代の明楽における五更曲の復(fù)元
附録二 九州大學(xué)濱文庫(kù)の明清楽資料について
附録三 清楽曲の歌辭と翻訳
初出一覧/あとがき/索 引
圖書(shū)封面
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