古都洛陽(yáng)と唐宋文人

出版時(shí)間:2012-10-29  出版社:汲古書院  作者:中尾健一郎  
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內(nèi)容概要

隠遁者に対する共感?憧憬、陪都に住むゆえの失望?諦観?羨望、朝政や為政者に対する嫌悪?反発?批判、洛陽(yáng)に住まう文人が綴る詩(shī)文には、首都で作られた詩(shī)文をはるかに凌ぐ豊かさと陰翳が見られる。白居易と司馬光を中心に洛陽(yáng)で活動(dòng)した知識(shí)人を取りあげ、彼らと洛陽(yáng)の関わり、洛陽(yáng)における文學(xué)活動(dòng)の実態(tài)に迫る。
【前言より】
人間を形作るのは環(huán)境であるという。しかしその環(huán)境は必ずしも一定不変のものではなく、ある時(shí)は自らの意思によって、またある時(shí)は抗いようのない運(yùn)命の力によって変えられていく。古來(lái)、中國(guó)の知識(shí)人たちは自らの生とそれをとり囲むさまざまな環(huán)境―それは場(chǎng)合によっては地理的環(huán)境や自然環(huán)境であり、また場(chǎng)合によっては政治?文化?社會(huì)的環(huán)境である―とその変化を多く詩(shī)文に綴った。そして當(dāng)然のことながら、彼らの生き様もこれらの環(huán)境によって大きく左右されていた。したがって各時(shí)代?各地域のさまざまな環(huán)境とその背景にある歴史事件が知識(shí)人を育み、文學(xué)作品を生み出したと言っても過(guò)言ではない。中國(guó)有數(shù)の古都洛陽(yáng)は、後世に影響を及ぼした數(shù)多の文人士大夫を輩出した都市である。文人たちの集會(huì)と文人集団の成立など、これを抜きにしては洛陽(yáng)を語(yǔ)ることのできない文化的事象が多く、特に唐宋時(shí)代を通じて見れば、他の長(zhǎng)安や南京といった古都とは同列に論じることのできないほどその文化的気風(fēng)は顕著であった。かりに洛陽(yáng)にゆかりのある唐宋時(shí)代の知識(shí)人を挙げれば、杜甫、韓愈、孟郊、白居易、劉禹錫、司馬光、邵雍、張載、程顥、程頤、朱敦儒など、中國(guó)の文學(xué)史?思想史上の著名な人物が多く名を列ねる。彼らが歴史の表舞臺(tái)に登場(chǎng)し、後世に名を遺したのは、決して単なる偶然ではない?!嘎尻?yáng)」という環(huán)境がこれらの知識(shí)人を育んだと言うべきである。本書において古都洛陽(yáng)と唐宋文人の関わりについて論じる所以である。本書に取りあげる唐宋の文人士大夫は、大部分が首都での生活を経験し、かつ首都に次ぐ大都市、いわゆる古都であり陪都である洛陽(yáng)での生活を経験する。そうすると彼らの目には、皇帝の行幸が途絶えた陪都洛陽(yáng)は一體どのように映ったのであろうか、また洛陽(yáng)は彼らの創(chuàng)作活動(dòng)にいかなる影響を及ぼしたのであろうか。本書は、筆者のこうした問(wèn)題意識(shí)の下に、唐宋時(shí)代の知識(shí)人たちの洛陽(yáng)における活動(dòng)とその活動(dòng)の背景について明らかにすることを目的とする。特に中唐から北宋にかけて、洛陽(yáng)の風(fēng)雅なイメージの形成と発展に大きく寄與した白居易(七七二~八四六)と司馬光(一〇一九~一〇八六)を中心に據(jù)えて、洛陽(yáng)に居住した知識(shí)人と彼らによる文學(xué)の営みが、洛陽(yáng)という古都とどのように関わったのかということについて論ずるものである。

作者簡(jiǎn)介

中尾 健一郎 準(zhǔn)教授(博士 文學(xué))
●中國(guó)古典文學(xué)
●1.中國(guó)古典Ⅰ?。玻袊?guó)思想史?。常赜蛭幕萘?xí)Ⅰ
●1.杜甫獻(xiàn)賦考?。玻拙右驻嚷尻?yáng) 3.司馬光の洛陽(yáng)退居生活とその文學(xué)活動(dòng) 4.司馬光の詞について-內(nèi)閣文庫(kù)蔵『増広司馬溫公全集』所収作品を中心に

書籍目錄

前 言
序章 唐代以前の知識(shí)人と洛陽(yáng)
第一節(jié) 後漢の知識(shí)人――張衡
第二節(jié) 魏の知識(shí)人〔曹植?阮籍〕
第三節(jié) 西晉の知識(shí)人――潘岳
【第一部 唐代篇】
第一章 孟郊と洛陽(yáng)
第一節(jié) 古都洛陽(yáng)の陰翳
第二節(jié) 孟郊の洛陽(yáng)體験
第三節(jié) 洛陽(yáng)における陶淵明詩(shī)の受容
第四節(jié) 「洛風(fēng)」と「狂」の意識(shí)
第二章 白居易と長(zhǎng)安新昌里邸
第一節(jié) 新昌里の立地條件
第二節(jié) 新昌里の隣人たち
第三節(jié) 洛陽(yáng)退居の理由
第三章 白居易と洛陽(yáng)
第一節(jié) 洛陽(yáng)に帰ってきた白居易
第二節(jié) 青年時(shí)代の白居易と洛陽(yáng)
第三節(jié) 江州左遷時(shí)代の白居易と洛陽(yáng)
第四節(jié) 白居易の洛陽(yáng)退居と子弟教育
第四章 白居易の孤獨(dú)とトポフィリア
第一節(jié) 白居易の孤獨(dú)と琴詩(shī)酒
第二節(jié) 白詩(shī)における「竹林七賢」――阮籍?嵆康?劉伶
第三節(jié) 知音としての魏晉の士人
第四節(jié) 長(zhǎng)安の動(dòng)向と白居易の心情
第五節(jié) 白居易のトポフィリア――詩(shī)文によって構(gòu)築される洛陽(yáng)のイメージ
第五章 洛陽(yáng)の壊滅と復(fù)興――李庾の「東都賦」を中心に
第一節(jié) 安史の亂から貞元年間までの洛陽(yáng)
第二節(jié) 李庾の「東都賦」(一)――作者と製作年代
第三節(jié) 李庾の「東都賦」(二)――洛陽(yáng)の描寫
第六章 唐末動(dòng)亂期の洛陽(yáng)と韋荘
第一節(jié) 黃巣の亂勃発時(shí)の韋荘
第二節(jié) 洛陽(yáng)における韋荘
第三節(jié) 長(zhǎng)安への帰還
【第二部 北宋篇】
第七章 北宋の洛陽(yáng)士大夫と唐代の遺構(gòu)
第一節(jié) 唐末五代の洛陽(yáng)
第二節(jié) 唐人を偲ぶ洛陽(yáng)の士大夫たち〔梅堯臣?司馬光〕
第三節(jié) 朱敦儒の追憶
第八章 司馬光と歐陽(yáng)脩
第一節(jié) 司馬光と歐陽(yáng)脩の交流
第二節(jié) 司馬光に見える歐陽(yáng)脩の影響〔「酔翁」と「迂叟」?文人趣味〕
第三節(jié) 司馬光と歐陽(yáng)脩における「清風(fēng)明月」
第九章 司馬光の洛陽(yáng)退居生活とその文學(xué)活動(dòng)
第一節(jié) 司馬光の洛陽(yáng)退居と「獨(dú)楽園記」
第二節(jié) 洛陽(yáng)における司馬光の詩(shī)作活動(dòng)
第三節(jié) 北宋における司馬光の「獨(dú)楽」の意義
第十章 司馬光の詞作
第一節(jié) 司馬光の艶詞
第二節(jié) 司馬光の雅詞
第三節(jié) 河橋參會(huì)
第四節(jié) 洛陽(yáng)における詩(shī)詞の唱和
第十一章 北宋の耆老會(huì)
第一節(jié) 杜衍の五老會(huì)
第二節(jié) 江南における耆老會(huì)
第三節(jié) 歐陽(yáng)脩の耆老會(huì)
第四節(jié) 熙寧?元豊年間の洛陽(yáng)における耆老會(huì)と司馬光
終 章
初出一覧?あとがき?索引(人名?地名)

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