出版時(shí)間:2010-11 出版社:東京:汲古書院 作者:[日]松村昂
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內(nèi)容概要
本書是作者繼其《清詩(shī)總集 131 種解題》(日本中國(guó)文藝研究會(huì) 1989 年 12 月)之后,研究清詩(shī)總集的又一著作。全書著錄各類型清詩(shī)總集約二百種,從清初王士祿輯《濤音集》到民國(guó)時(shí)期徐世昌輯《晚晴簃詩(shī)匯》,每種介紹其編者、版本、序跋、體例、內(nèi)容以及收藏單位等,資料豐富,敘述詳明,多有作者研究心得。卷首《前言》,論及清詩(shī)總集的基本情況和大致分類,并統(tǒng)計(jì)到本書所著錄的總集共收清代詩(shī)人“絕對(duì)數(shù)為四萬(wàn)四千百二十家左右”(第 3 頁(yè))。卷末《后記》,按年代回顧作者研究清詩(shī)總集的歷程,前后穿約四十年。全書最末,還附有本書所涉《人名索引》、《書名索引》。在迄今為止的清詩(shī)總集文獻(xiàn)學(xué)研究方面,本書代表著最高的水平。它的問(wèn)世,對(duì)促進(jìn)清詩(shī)總集以及整個(gè)清代詩(shī)歌的研究,都具有重要的意義。(朱則杰)
清詩(shī)とは、清人が清代に作った詩(shī)をいう。清人とは、初めは一六四四順治元年以後に亡くなった人々、終わりは一九一一宣統(tǒng)三年にすでに成人に達(dá)していた人々とする。初めについていえば、例えば錢謙益は、その卒年が一六六四康煕三年であるから、明らかに清人である。その詩(shī)は、明代のものが『初學(xué)集』に、清代のものが『有學(xué)集』に收められるから、後者のみが清詩(shī)ということになる。しかし明末清初の詩(shī)家において、明詩(shī)と清詩(shī)がこのように截然と區(qū)分されるのはむしろ例外で、ほとんどの詩(shī)家にとって、このような區(qū)分はむずかしい。ただ原則として設(shè)定することは許されるだろう。清末民國(guó)初の詩(shī)家についても同様である。わざわざこのように斷わるのは、明末清初の詩(shī)家を、新政權(quán)に協(xié)力したか否かで明人と清人とに分けたり、作品の傾向によって明詩(shī)と清詩(shī)に分ける方法も存在するからである。詩(shī)の總集とは、詩(shī)の別集と對(duì)をなし、二家以上の詩(shī)家の作品を集めた書物である。その內(nèi)容はもとより多岐にわたるが、まず、對(duì)象とする詩(shī)家の地理的範(fàn)圍のもうけかたから見て、全國(guó)的規(guī)模のものと地方的規(guī)模のものとに分けることができよう。そのうち全國(guó)的總集は、網(wǎng)羅的なものと、家數(shù)限定のものとに分けることができる。地方的總集については、まず、行省によって多寡の差が明白である。特に江蘇?浙江に多いことは、この地方の文化的先進(jìn)性を如實(shí)にものがたっている?!呵迨犯濉粠啺偎氖?藝文志四?総集類、および武作成編『清史稿藝文志補(bǔ)編』集部?總集類(一九八二年?中華書局)から清詩(shī)總集を摘出すれば、三百五十種はくだらないとおもわれるが、そこに記載されているもの(詩(shī)文評(píng)類からの一種を含む)を主とし、記載されていないものをも加え、私が本敍録に項(xiàng)目立てをしたのは、和刻を除き、附録を含めて、全國(guó)的總集が八十種、地方的總集が七十七種の、あわせて百五十七種になる。このうちの、人名索引のためにカードをとった百三十種において、一首以上の詩(shī)をもって登載される詩(shī)家の絶對(duì)數(shù)は(つまり延べ人數(shù)ではなく)四萬(wàn)四千三百二十家前後である。
本敍録は清代詩(shī)史の一環(huán)をなすといえよう。しかし編輯者のおおかたが、理念として總集の全國(guó)的と地方的とにおいて、それぞれが『詩(shī)經(jīng)』の「雅」と「風(fēng)」とを掲げる。そのため、ある時(shí)期の詩(shī)風(fēng)を著實(shí)に反映することにつながらないこともあるようにおもえる。
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