出版時(shí)間:2001 出版社:扶桑社
Tag標(biāo)簽:無
內(nèi)容概要
経営には3つの眼が必要だと考えている。徹底的に掘り起こして議論する「ミクロの眼」、問題の本質(zhì)を見誤らないよう俯瞰する「マクロの眼」、そして経営課題の変化と刻々と変わる時(shí)局から流れを読む「時(shí)間軸の眼」である。
教科書が売れている。教本の類でもハウツー本でもなく、まぎれもなく教科書である。今までは、教科書が書店に並ぶことはなかった。教科書問題は誰もがメディアで見聞きしているのに、一體どんなものが問題になっているのか一般の人が現(xiàn)物を手にすることは困難であった。小さな挑戦かもしれないが「改革」である。內(nèi)容の善しあしをうんぬんするよりも、出版して內(nèi)容を世に問うたこと自體を評(píng)価したい。
「ミクロの眼」で見ると、古くより日本は中國や韓國から多くを?qū)Wび、やがては他國に影響を及ぼすほど昇華するさまがジャポニズムなどの例で示される。細(xì)部の表現(xiàn)には“?”と思えるものもある。それでも「解釈されている」という表現(xiàn)で斷定をせず読者に考えさせるような工夫もしている。また、「コラム」のページでは歴史上の人物が生き生きと表現(xiàn)され、その體溫が伝わってくる。どちらも良い手法である。
「マクロの眼」では、そもそも教育とは何かを考えさせられる。教科書なるものは人の教育にいかほどの影響を與え、いかほど役立つものであろう。歴史上の土地へ行って臨場感を味わったり、様々な書物や小説やテレビや映畫などで人は歴史を?qū)Wんでいく。もしも教科書だけで教育できると考える教育者がいるとすれば、不遜というものであろう。
何年か前、ある新聞のコラムにこういう話が紹介されていた。子供がサイパンに行くと聞いた母が「遊びでサイパンの地を踏むことは許さない」と反対した話と、沖縄に旅行しようとする子供に「ひめゆりの塔」には必ず行くことを條件にしたという話である。どちらの母も素晴らしい教育者であり、これらの生きた歴史は教科書からは會(huì)得できない。
歴史は「時(shí)間軸」で考えるべきだと本書の前書きにある。過去の事例の善しあしを今の価値観で測るわけにはいかない。謙虛と自虐は違う。戦後は自虐をよしとして、軍國主義を償おうとしすぎたきらいがある。自國の歴史に誇りを持つことをよしとした教育も今後指向されるべきであろう。
6月中旬、三重県の私立中學(xué)が來年度の教科書として全國で初めて採用を決めた。まずはやってみることから始めたいものである。
圖書封面
圖書標(biāo)簽Tags
無
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