江戸參府旅行日記

出版時(shí)間:1997-5-15  出版社:平凡社  作者:ケンペル  譯者:斉藤信  

內(nèi)容概要

ケンペル來日は元祿3年。
後のツュンベリー、シーボルトを加えた三者は「出島の三學(xué)者」と呼ばれ、特に秀でた識(shí)者とされる。
最も早く來日した彼は、後の二人にも多大な影響を與えている。
ケンペルの2度の參府ルートは概ね長崎街道、瀬戸內(nèi)航路、東海道の3區(qū)間に大別できる。
航路や宿泊地に若干の違いがあるのみで、主要な通過地は同じである。
その記録は多岐に渡り詳細(xì)を極める。特に當(dāng)時(shí)の道路狀態(tài)の記述は興味深い。
十分な規(guī)模があり清潔で、里程を示す一里塚や道標(biāo)が置かれ、
しかも左側(cè)通行のルールが徹底される事など、日本の道路の充実ぶりにケンペルは驚く。
外國人の評(píng)価した近世日本の交通事情を知る上で、三學(xué)者の記録は貴重。
彼らは日本に車輪の通行が少なく、道の損傷が少ない事に注目している。
約250年後の昭和期には同じ外國人の評(píng)価でも
「日本の道路は信じられないほど悪い。工業(yè)國にしてこれほど完全に道路を無視してきた國は日本のほかにない」(ワトキンス)
と言う事になってしまうから面白い。
當(dāng)時(shí)は五代將軍綱吉の時(shí)代で、ケンペルも拝謁している。
歌ったりダンスをしたり、"喧嘩口論の末仲直りして別れる仕草"など、
ケンペルらは將軍に乞われるままの茶番を演じる羽目になる。
また何処でも簾や障子の向こうに婦人たちが見物していた事を書いている。
好奇心の旺盛さと、障子や簾の陰からそっと見る、という行動(dòng)はどうも日本人の性癖らしい。
また"生類憐れみの令"は、外國人から見ても滑稽だったようだ。
他、長崎の密貿(mào)易とそれに対する容赦ない処斷など、當(dāng)時(shí)の様子を伺わせる記録が満載である。
一切の誇張なく科學(xué)的な眼で日本を見るケンペルは、流石に當(dāng)時(shí)一流の識(shí)者と言っていい。
その著作が幕末期に至るまで、歐州における日本學(xué)の基本的な書となったことも肯ける。

書籍目錄

第一章 參府旅行の準(zhǔn)備と日本流の旅行の記述
第二章 長崎から幕府の所在地江戸に至る水路ならびに陸路の一般的記述とその狀態(tài)
第三章 われわれが主要な街道で見た庶民ならびに寺社の建築物およびその他の一般的記述

圖書封面

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