出版時間:1999-10 出版社:白水社 作者:未知 譯者:諏訪 春雄
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內(nèi)容概要
『四谷雑談集』(享保十二年(1727年)の奧付)に、元祿時代に起きた事件として記され、四世鶴屋南北の『東海道四谷怪談』の原典とされた話。
しかし、(物語中では失蹤したとされる)巖が1500年代に稲荷神社を勧請したことが田宮神社の由來とされ、『四谷雑談集』の內(nèi)容とは年代があわず、また、田宮家も現(xiàn)在まで続いており、信憑性には疑問がある。永久保貴一は、田宮家ゆかりの女性の失蹤事件が、怪談として改変されたのではないかとしている。
史実では、巖の父、田宮又左衛(wèi)門は徳川家康の入府とともに駿府から江戸に來た御家人で巖と伊右衛(wèi)門は江戸の町でも有名な仲のよい夫婦だったといわれている。事実、伊右衛(wèi)門は収入がとぼしく、食べる物もないような生活をしていたが、巖が奉公に出て生活を支えていた。巖が田宮神社を勧請したのちは生活が上向いたと言われており、巖を田宮家中興の祖とする見方もある。
あらすじ
四谷在住の田宮又左衛(wèi)門の娘巖は、婿養(yǎng)子である伊右衛(wèi)門にいびり出され、失蹤する。
巖の失蹤後、田宮家には不幸が続き斷絶。その跡地では怪異が発生したことから於巖稲荷がたてられた。
『東海道四谷怪談』(あずまかいどうよつやかいだん、※「とうかいどう―」ではない)
* 4世鶴屋南北作の歌舞伎狂言。5幕。作者南北の代表的生世話狂言であり、怪談狂言、夏狂言である。『仮名手本忠臣蔵』の外伝という位置付けで書かれ、1825年、江戸中村座で初演された時には忠臣蔵の幕間に演じられた。配役は、巖、小仏小平、與茂七の3役は5世松本幸四郎、民谷伊右衛(wèi)門は7世市川団十郎、お袖は2世巖井粂三郎であった。
* 塩治義士、佐藤與茂七らが登場しているが、四谷怪談のみを上演した場合、塩治義士がらみのエピソードが浮くため、省略?改変を受けることが多い。
* 忠臣蔵と続けて演じた場合には、主君への忠義を盡した與茂七と、祿のためには敵である高師直にすら仕官しようとする伊右衛(wèi)門との対比がより鮮明になる。
* 有名な舞臺面としては、巖が毒薬のために顔半分が醜く腫れ上がったまま髪を梳き、悶え死ぬ、2幕目の伊右衛(wèi)門內(nèi)の場、巖と小平の死體を戸板1枚の表裏に釘付けにしたのが漂著し、伊右衛(wèi)門がその両面を反転して見て執(zhí)念に驚く、3幕目の隠亡堀戸板返しの場、へび山の庵室で伊右衛(wèi)門がおびただしい數(shù)の鼠と怨霊に取り殺される場、などがある。
* 巖の役は、5世菊五郎に継承大成された。音羽屋のお家蕓とされた。
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