出版時間:1980 出版社:文藝春秋 作者:東峰夫
作者簡介
フィリピンのミンダナオ島に生まれ、1945年、敗戦に伴って日本へ帰國。大分県大野郡大野町(現(xiàn)在の豊後大野市)に住む。1946年6月に父祖の地である沖縄へ移住。1952年3月からコザ市(現(xiàn)在の沖縄市)に住む。1956年に沖縄県立コザ高等學(xué)校を2年で中退。その理由について東は「トルストイを読みすぎた」「トルストイに較べて、學(xué)校の授業(yè)はつまらなかった」と述べている[1]。
その後、嘉手納基地に勤務(wù)するも1959年に辭職??窗逦菀娏?xí)いやブロック工などの職を経て1964年4月に集団就職で上京し、東京神田の製本屋に住み込みで勤務(wù)するが、読書や小説執(zhí)筆の時間が取れないために退職し、路上生活を送ったこともある。その後、塗裝會社や運送店などで日雇いのアルバイトを続け、休みの合間に小説を執(zhí)筆。1971年に『オキナワの少年』で第33回文學(xué)界新人賞を受賞し、同作品で第66回(1971年下半期)芥川賞を受賞。丸谷才一に見込まれ將來を囑望されたが、『オキナワの少年』を継続せよとの編集者の要求に応じることを拒み、33歳から48歳までの15年間で4作という寡作ぶりを貫き、1981年に『大きな鳩の影』を刊行後、原稿の注文を失って表舞臺から完全に姿を消す。この間、1977年に沖縄の日米混血女性と結(jié)婚し、1981年に沖縄へ帰郷して二子を儲け、スナック経営の妻のもとで主夫生活を送ったが、妻の不貞により1984年に妻子を捨てて出奔し、再び?xùn)|京で獨り暮らしを始める(のち離婚)。20年以上の空白期間では日當(dāng)1萬1000円のガードマンとして生計を立てていたが、1993年、不況により失職。貧窮のためコンビニエンスストアのゴミを漁って生活していたこともあるが[2]、2002年に『ガードマン哀歌』で久々に復(fù)活する。その後、1972年以來30年間以上にわたる夢日記を題材に『現(xiàn)代の神話シリーズ』全15作を執(zhí)筆(未刊行)[3]。
芥川賞受賞以後、マスコミから姿を消した理由については編集者から思想検閲を受けたためと説明[3]。また「人々が自分の名前を忘れていくのはつらいことですか?」という上原隆の質(zhì)問に東は「つらいどころかせいせいしますよ?!氦ⅳ稳摔嗓盲且姢款啢坤尽护胜螭皮い盲埔姢肴摔い胜い盲皮长趣献杂嗓?、自然で、生きやすいことです」と答えている[4]。
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