富岡日記

出版時間:1978-9-10  出版社:中央公論新社  
Tag標(biāo)簽:無  

內(nèi)容概要

著者?和田英が明治40年頃、病気の母を慰めるために書きはじめた本書は、
群馬県富岡につくられた官営富岡製糸場の伝習(xí)工女として、
著者16歳の明治6年、同郷の長野県松代の女子15名とともに出立し、
技術(shù)の習(xí)得につとめた一年數(shù)か月の日々の回想を主としている。
その観察眼の鋭さ、10代の女性の揺れ動く心、
それらを生き生きととらえた瑞々しい文章――
本書は、當(dāng)時の製糸場やそこに関わった人々の様子や生活を知るための
貴重な資料であるだけではない。
幕末から明治を生きた一族の歴史を背景とし、
「繰婦は兵隊に勝る」(初代場長?尾高惇忠のことば)を支えとして、
近代の礎(chǔ)の時代を生きた一人の女性の物語である。

作者簡介

和田 英(わだ えい、安政4年(1857年)8月21日 - 昭和4年(1929年)9月26日)は、官営富岡製糸場の伝習(xí)工女。『富岡日記』を著した。舊姓は橫田。
1857年 長野県埴科郡松代町(現(xiàn)?長野市松代町松代)に松代藩士橫田數(shù)馬の次女として生まれる。
1873年 松代町から英を含む16人が富岡製糸場へ伝習(xí)工女として入場する。
1874年 富岡製糸場を退場し、長野県埴科郡西條村(現(xiàn)?長野市松代町西條) に建設(shè)された日本初の民営機(jī)械製糸場六工社の創(chuàng)業(yè)に參畫するとともに、その後も教授として指導(dǎo)的な役割を果たす。
1878年 和田盛治と結(jié)婚。
1905年 富岡製糸場での日々を回顧して『富岡日記』を著す。
墓所は、長野市松代町の蓮乗寺。

圖書封面

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