出版時(shí)間:2003-05 出版社:小學(xué)館 作者:山田風(fēng)太郎
內(nèi)容概要
山田風(fēng)太郎の日記としては、戦前を記録した『戦中派蟲けら日記』、太平洋戦爭(zhēng)敗戦直後の『戦中派不戦日記』が知られている。しかし日記は戦前だけで終わらず、戦後になっても書き続けられていた。著者の死後、その戦後日記はまず『戦中派焼け跡日記』として世に出され、本書はその続編として出版された。1947(昭和22)年から1948(昭和23)年の2年間の日記である。
1947年は山田風(fēng)太郎にとって特別な年だった。25歳になるその年の1月、『達(dá)磨峠の事件』が雑誌「寶石」の第1回短編懸賞で入賞したことにより、山田青年は作家デビューを果たしたのである。しかし青年はそれを無邪気に喜ぶことなく、いままでどおり醫(yī)學(xué)生との二足の草鞋を履きながら淡々と創(chuàng)作活動(dòng)を続けていく。文學(xué)よりも醫(yī)學(xué)書を多く読み漁っているくらいである。その一方で、江戸川亂歩をはじめとする先輩作家たちと交流し、彼らの作品を酷評(píng)したり、他の作家たちにライバル心を燃やしたりしている。それらの記述から浮かんで見えてくるのは、推理小説を書き作家への道を模索しながらも、意識(shí)して推理小説や文壇からは一歩引いている、ある若者の孤高の姿である。
そういった山田青年の生き様と同時(shí)に、この日記は戦後の日本、あるいは推理小説界の狀況を詳細(xì)に記録した一級(jí)の資料でもある。當(dāng)時(shí)の日本はまだ敗戦の混亂から立ち直っていなかった。しかし新しい潮流が生まれてくるときに発せられる時(shí)代の熱と必死さというべきものが、日記の行間にあふれている。敗戦直後の「戦後」という時(shí)代がちょっぴり羨(うらや)ましく感じられるに違いない。(文月 達(dá))
圖書封面
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